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Guest.4 2021.4.15
株式会社ミヤモト家具 代表取締役 宮本豊彰

1941(昭和16)年に祖父が富山・千石町商店街で創業した宮本タンス店をルーツとし、2000年に有限会社ミヤモト家具を設立。厳しい経営環境の中、自社ブランドをはじめとするプロダクトと、造作家具を組み合わせた空間プロデュース事業に活路を拓く。現在、本店「Interior Shop MIYAMOTO」、姉妹店 「Interior Proshop LOWVE」のほか、工場のVintage Factory。そして、福岡の製造メーカーと共同開発した家具ブランドSOLIDを扱う「SOLID FURNITURE STORE」を全国5都市(富山・金沢・福岡・名古屋・大阪)で展開。

街のタンス店から空間プロデュースへ。経営者の反骨と成功

Interview STORY インタビュー記事

家具にこめられた、家族の幸せな記憶

畠:店内(SOLID FURNITURE STORE TOYAMA)を拝見しましたが、すてきですね。私はインテリアや雑貨が好きなのですが、あれもこれもと欲しいものが見つかります。
宮本:ありがとうございます。 SOLID FURNITURE STOREはおもちゃ箱をひっくり返したような賑やかな売り場空間にしているので、ワクワクしていただければ嬉しいです。
島野:本体が無垢材で、張り地にも上質な本革や帆布を使っていて、そんな家具がこの価格でいいのか、と思ってしまいます。
宮本:そこに気づいて頂き嬉しいです。SOLIDの家具は品質はもちろん、価格設定にもすごくこだわっていて、自分で言うのもなんですが、品質に対する価格では、とてもお求めやすい設定だと自負しています。
畠:宮本社長は3代目の経営者ということになるのですか?
宮本:ホームページでも祖父が創業した宮本タンス店からの歴史をうたっていますが、正直に言うと私自身が3代目と言えるかどうかは難しいところです。タンス店は経営不振でいったんクローズし、その後私がミヤモト家具を設立したのですが、業態をガラッと変えたので、堂々と3代目と名乗るのは気が引けます。
島野:後継者というより起業家の立場になるのですね。だとすればいろんなビジネスフィールドを選択できたと思うのですが、なぜ家具・インテリア業界を選んだのでしょうか。
宮本:実は、最初は家具で起業しようとは思ってなくて。頭の中にあったのは、リサイクルショップを全国展開するというビジネスプランでした。ところが融資を受けようと事業計画書を持って銀行を訪ねた所、タンス屋の跡継ぎが店舗を再興しようとしていると早合点されたようで、「家具屋では厳しい。融資は出来ない」と言われました。その時、未熟な私は亡くなった家族を否定されたような気持ちになりました。
私は学生時代に、タンス店を継ぐはずだった父や、創業者の祖父を相次いで亡くしました。家はけして裕福ではありませんでしたが、私は家族に愛され、幸せな子ども時代を過ごしたという実感があります。それが、今はもう家具屋は無理だと言われたことで、家族の幸せな記憶を丸ごと否定された気がしたんです。「それならば家具屋をやってやろう」と思いました。そんな経緯で、2000(平成12)年、リビング・ダイニングの家具を中心とする、提案型のインテリアショップを始めました。家具のことは何もわからない社員もいない。経営について教えてくれる先代の存在もない。そんなところからのスタートでした。

「応援してくれる人」の言葉に背中を押されて

島野:分からないからこそ、逆に型にとらわれなかった、常識に流されなかったというメリットもあったのでしょうね。その後はオリジナルブランド「Anarchy Face」をスタートさせ、自社工場として「Vintage Factory」を創業するなど、順調に成長していったようです。
宮本:実際、やり始めて何年もの間、資金面で厳しい経営を強いられました。借金を返すために働いているような状況でしたし、とにかく資金が無くて次第に心まで荒んでいきました。恥ずかしい話ですが、その頃の自分は、同世代の二代目、三代目社長に対する嫉妬やコンプレックス。そして自身の無力さに絶望する毎日でした。
ターニングポイントになったのは2013年頃です。この頃、一時的に無借金になったんですが、燃え尽きたというか、ある意味目的を見失って仕事に真摯に向き合えなくなりました。いろいろ新しいことをやってはいたので、メディアに取り上げてもらう機会は増えていたものの、心の内では「本当は家具屋をやりたかったわけではない」「店を閉めたらラクになれるだろうか」といった剥離した思いが渦巻いていました。
ところがちょうどその頃、創業時に私から家具を購入頂いたお客様や、苦しい時にお世話になった方など、立て続けに出会う機会に恵まれました。「テレビに出ていたのを見たよ。頑張ったね」「ずっと応援してるから」と、我が子を褒めるかのように声を掛けて下さいました。勇気づけられましたね。自分がミヤモト家具の経営を諦めたら、応援してくれる人達をがっかりさせてしまう。それで良いのか。そんな強い思いが湧き上がってきて、ネガティブな心の持ちようをリセットしてくれました。
島野:包み隠さず話していただいて、宮本社長の誠実な人柄が伝わってきました。私もリーマンショック後、顔で笑って心で「死んだほうがラクなんじゃないか」と思っていた時期があったので、非常に共感できます。

走りながら、オンリーワンの業態を実現

畠:その後どのようにお店の差別化や出店を進めていったのですか。
宮本:オーダーメイドの造作家具と、自社ブランドをはじめとした置き家具の両方を、実店舗を持って提供できるお店は実はとても珍しいんです。もっともこれは狙って実現した業態ではなく、こんなことをしたいというアイデアを追求したり、お客様の要望に応えたりするうちに、自然にこのスタイルになりました。
あとは、時代の逆を行くことは意識してやっています。クリックひとつで何でも家に届く時代ですが、うちはネット販売はせず、対面販売にこだわっています。有料広告も出しませんし、出店の立地もあえて「知る人ぞ知る」というような場所を選びます。大事なのは、手軽で便利である事より、お客様にの心を満たし、心を動かす事のできるような、真心こめた対応です。
島野:今は仕事が楽しくてたまらないでしょうね。
宮本:そうですね。自分の時間の使い方を見ると9割が仕事です。悩む事も当然ありますし、すごく忙しい毎日ですが、常に充実している事を実感します。息子には「いつも楽しそうだね」なんて言われるのですが、人のお役に立つという事。働く事は楽しい事なのだと、私が身をもって示す事が、今のところ親として、子どもに唯一してあげられる教育なのだと思って頑張っています。
島野:それも共感します。うちも同じで、私もいつも楽しそうにしているもので、息子は中身は分からないまま「俺もそんな仕事をしたい」と言ってます(笑)。

冷静な視点と、熱いハート

畠:経営者としては、数字を見ることも仕事になりますが、その点はいかがでしょうか。
宮本:いろんな考え方がありますが、私としては経営において大事な数字は現金だと思っています。毎日、どれだけお金が入ってきて、どれだけ出ていって、現金残高はいくらになるのか、というキャッシュフローを確認していますし、見える化して社員とも共有しています。現金残高を増やす努力を続けることで、会社経営は安定します。
畠:ビジネスを成功に導いた秘訣あるとすれば、キャッシュの流れをきちんと把握しておくことがひとつ。もうひとつ挙げるとすると―?
宮本:これも私の経験でしかありませんが、絶対にこうしたい、こうなりたいという信念を持ち続ける事です。そしてその信念を社員に正しく伝える事。私は自分の考え方ややりたい事を、社員に直接伝える勉強会を毎月1回行っています。7つある部署ごとに行いますから、勉強会だけで7日間を費やします。でも、どこに向かっていくのか分からないまま仕事をしていては、社員も仕事が楽しめませんから、そこを解消するための時間は、経営者として常に確保すべき時間であると考えています。

50歳で、宮本タンス店を継ぎに行く

畠:今後やること、そしてもう少し先にやりたいことを教えてください。
宮本:直近では、2021年10月頃を目途に金沢を拠点として新たなブランドを立ち上げます。金沢には2018年1月にSOLID FURNITURE STOREをオープンしたのですが、県外の企業だからと、よそ者扱いされることもありませんし、お客様がお客様を紹介してくれることもあり、温かい土地柄を感じています。
その先のビジョンですが、私は今45歳。50歳になる5年後に、宮本タンス店を復活させます。これまでの集大成となる店舗にする計画です。亡くなった家族の為に、私は後継者になりにいくつもりです。
島野:遠回りをしたけれど、原点に戻って3代目を名乗るわけですね。最後に、宮本社長が経営者として成し遂げたいと思っていることをお聞きしたいです。
宮本:まずは、当社で働くスタッフや協力してくれる方の「幸せ」を実現する事。もうひとつは、潰れかけた小さな企業であったとしても、正しい考え方の元、正しく努力し続ければ、必ずや大きな企業に負けない、太くて強い企業になれるのだという事を、私と大切な仲間と共に実証していきたいと思っています。

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